ハロープロジェクトを知ってしまったその後の話(℃-ute編)
お世話になります、ウツシロです。
前回、モー娘。について語らせてもらったが、更に語りたいグループがハロープロジェクトには存在した。
そのグループこそ2017年6月12日に解散した℃-ute(キュート)である。
解散したグループを今更語るとは何事ぞ、と思うかもしれないが、ハロプロ内で最も好きなグループであった彼女達に敬意を表し語りたいと思う。
2002年にモーニング娘。の妹分としてハロープロジェクトキッズオーディションが行われ、約28,000人の中から15人が合格した。
その内の8人はBerryz工房となり2004年にデビュー、残された7人で2005年に℃-uteを結成したのである。(のちにハロプロエッグから1人加入し8人になる)
私が℃-uteを知るきっかけになったのはモーニング娘。の関連動画にあった、まっさらブルージーンズという曲だった。
…何すかこの曲?色んな意味で凄くないか?グラサンかけてる子居るんだけど?
いきなりベースがカッコいいけどなんかコミカルな曲。
歌詞とダンスの絶妙なダサさ、少女達の頑張って踊っている姿にモーニング娘。とは違う垢抜けてない感じが微笑ましかった。
私が℃-uteを知った時期は2011年頃で15枚目のシングル「Kiss me 愛してる」の頃だったと記憶している。その頃には紆余曲折がありメンバーは5人になっていた。
メンバーはリーダーの矢島舞美、中島早貴、鈴木愛理、岡井千聖、萩原舞の5人である。まっさらブルージーンズの頃よりも彼女たちは立派に成長していた。
ビジュアルにも驚いた。少女達は時の流れと共に綺麗なお姉さんになっていたのだ。
「Danceでバコーン!」や「Kiss me 愛してる」のMVを見た時にリーダーの矢島舞美の美しさに、えっ?こんな美人がなんで話題にならないの?と思ったものだ。
℃-uteの魅力と言えばメンバーのバランスの良さだ。
女性アイドルグループとしては少ない人数の5人だが、個性がお互いを補い合っていてアイドルに必要な要素をすべて兼ね備えた5人組、まるで戦隊モノのようなグループに思えた。
やはりグループは5人がちょうど良いのかもしれない。
パフォーマンス力の高さも魅力と言える。
歌唱力、ダンスと、並みのアイドルとは一線を画すレベルにありライブを見れば一目瞭然、やはり芸歴が違う。
ハロプロは基本的に自前のコンサートをメインでやっているが、稀に他事務所が集うフェスに参加する事もある、その時の圧倒的存在感はパフォーマンス力の違いが物を言う。
同期のBerryz工房に劣等感を抱きながらそれでも腐らずデビューに漕ぎつけ、その後もメンバーの脱退、卒業などありながら5人で頑張った結果、アイドル界でも憧れのグループと言われる程に成長していた。
動画を通して彼女達を見ているうちに私もすくすくとチーム℃-uteに成長していた。
モーニング娘。に憧れた少女達は不遇の時代を経て、自らの道を切り開きハロープロジェクトを引っ張る存在になった。
TVスターではなかったかもしれないがアイドルが憧れるアイドルという自分達が夢見た存在にたどり着いたのである。
ハロプロキッズオーディション後のインタビューで当時6歳だった萩原舞が放った「つんくとか来て楽しかった」というパンチラインが伝説として語られるが、解散発表後の音楽番組で「℃-uteとか居て楽しかった」とアンサーを返すつんく氏に胸が熱くなった。
すでに解散しているグループなので彼女達を事細かに紹介するつもりはないが、興味を持った方は是非観に行ってほしい。
℃-uteの解散やつんく氏がプロデューサーを離れた事で私もハロープロジェクトを昔ほど追う事はなくなった。
しかし、プラチナ期のモー娘。や℃-uteにどっぷりハマった事はまごうことなき事実でありいつかどこかで語りたいと思っていた。
ハロープロジェクトを知ってしまった私はアイドル文化の洗礼を受け一回り大きな人間になったはずだ。
最後に隠れた名曲
ボサノバ調で大人の℃-uteを楽しめる1曲
しかし、あの頃は戻ってこないんだね…
今日はこの辺で。