自分定規

「答えは己の中にあり」

人と違う事を恐れる病

お世話になります、ウツシロです。

 

十人十色なんて言葉があるが皆内心は人と違う事を恐れているのではないか。

 

私はこれを「人と違う事を恐れる病(やまい)」と勝手に名付けた。

 

ある集団の中で馴染めない場合自分は普通じゃないのか、どこかおかしいのか気にしている人は多いだろう。違いとは生き方や性格、能力など様々だが、他人が上手くできる事が自分にはできないと何か理由を欲しがってしまう。分かりやすい原因が無い場合、納得する為に自ら診断し安心したくなるのは人の性だ。

今まで聞いた事も無かった病名や症例(○○障害やHSPなど)が増えているのもその兆候のような気がする。

最近では私も気になり色々調べたもんだ。

多種多様な病名があり、これは誰しも何かしらに該当するなと思った。

結局自分で診断した所で大した解決策も浮かばないのでほっておく事にしたが、何故こんな精神状態になったのかとても不思議だった。

人との違いが何より気になり色々調べ出したらこのやまいの発症と言ってよい。

 

20代の私は他人と同じである事を拒絶していた。人と違う事を良しとし気にもしなかったが、現在は違う事を不安に思う事が少なからずある。

過去とばかり比べるのは自分としても好きではないが比較対象が過去の自分しかないので仕方がない。

 

当時と今を比較するといくつか違いがある。

①所属するコミュニティの違い(会社員とフリーター)

②その時代の雰囲気(コンプライアンスの向上など)

③ネットによる情報収集

こんなところか。

 

①は現在自分がどんなコミュニティに所属しているかで意識が変わるのではないかという事だ。私は現在会社員をしている。社内でぶっ飛んだ行動をとる事は当然出来ない。

人と違う行動を慎んだ挙句誰も気にしていないような事にまで気を使う病発症である。

逆に20代のフリーター時代は音楽活動がメインだった為、人と違ってナンボだった。

人と違う表現をして目立つ事を常に意識していたように思う。

 

②近年のコンプライアンスに対する意識の高さは強烈だ。出る杭は打たれるという言葉がしっくりくる程簡単に叩かれる。例え法的には犯罪で無かったとしても倫理的に怪しければ社会の敵になってしまう。SNSを使う事により以前より簡単に世論を盛り上げる事が可能になった。SNSが無い時代なら見逃されたような出来事が今では脚光を浴びてしまうのだ。見逃してもらう事が良いかは別として監視の目が厳しくなればその分委縮する人間が増えるのも確かだろう。

 

③自分が他人と何か違うと感じた時に手元のスマホですぐに調べる事ができる。そして疑問に思う事のそれっぽい答えを見出せるのだ。例えばそれが何かの病気に近い症状だとやっぱり自分は病気なのだと納得してしまう。

スマホが無ければスルーしていたような事もとりあえず調べて自己判断してしまうのだ。こうなると自ら悩みを作っているとも言えるのではないか。

 

改めてやはり現代病という言葉が当てはまるように思う。

同じ人間は居ないのだから大なり小なり皆違う。昔はこの違いを深堀りできる人は少なかった。しかし今では気になった事を追求でき診断名まで用意されている。

 

私が辿り着いた結論は人との違いを認め、今の環境を受け入れその上で更に自分が過ごしやすい環境をどう作るか、もしくは別の場所に移動するかを考え実行するしかないという事だ。

 

 

 

誰にも言わない

誰にも言わない

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この手の話は理解してくれる人が少なかったりする。この文章を読んでもピンとこない人も多いだろう。だがこんな考えもあるんだなと思ってもらえるだけでも幸いである。

 

 

 

今日はこの辺で。