自分定規

「答えは己の中にあり」

フードを被った私が問いかける

お世話になります、ウツシロです。

 

近況報告になるが仕事が忙し過ぎる。

このコロナ禍で忙しいのだから有難い話なのかも知れないが、一会社員の私としては正直有難迷惑だ。

 

なぜならこのブログを始める少し前から仕事中もプライベートもある感覚が私を覆っている。

それは「空虚感」だ。

昔からあまり満たされないタイプだったがここに来ていよいよ心のエンプティマークが点灯している。

頑張って仕事をしても誰かと会話をしていても美味いと言われるご飯を食べに行っても驚くほどに冷めた自分が頭の半分を占領して切株にどっしりと座っている。

薄汚いマントで全身が覆われ顔はフードで隠れてよく見えないがあご髭が異常に伸びた私がそこにいるのだ。

その冷めた私は常に問いかけてくる。

「本当は何がしたいのか?それが人生の目的なのか?」

私はその質問にいつも答えることができず気がつくと空虚に天を仰ぎ溜息を吐く。

うわの空とはこういう状態なのだろう。

 

確かに私の人生は自分の強い意志で生き抜いてきたとは言い難い、いつも手の届きそうな物を選択し大した満足感も味わってこなかった。

 

ウエディングドレスの女性を教会から連れ去っていくような恋をしたこともない。

それじゃあ『サイモンアンドガーファンクル』も流れないよ。

 

何事に対しても不完全燃焼、中途半端さが今の空虚に繋がっているのだろう。

現在の仕事も子供の頃からの夢という訳ではない、努力を積み重ね辿り着いたというよりたまたま何社か面接を受けた中で入れてもらえた1社に過ぎない偶然の産物だ。

 

またいつかフーテンの寅の如く別の場所にいると思うともう一人のフードを被った私が現れ質問を投げかけてくる。

 

「納得していないようだが本当にそれでいいのか?」

 

自分との対話に答えることができず虚しさと切なさと心強さを感じ結果「空虚」に至ってしまった。

この感覚から脱却しフードを被った私とさよならするためにはどうすればいいのか暗中模索している。

 

40代……ゴールがうっすら見えてきてこのまま進むのか自分の意思で新しい道を作っていくのか岐路に立たされている気がする。

これは40代というタイミングによるものか、それとも今後も定期的に現れるのか分からないが今はこのもう一人の自分を早く消し去りたいと思っている。

そして何にも囚われず笑いの絶えない人生を送りたいのだ。

たぶん自分で決めた納得のできる道を進まない限りそんな人生は送れないのだろう。

 

 

 

三文小説

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私には「これでいいのだ!」と言える日が来るのだろうか、不二夫先生!

 

 

 

今日はこの辺で。