自分定規

「答えは己の中にあり」

風が吹けば桶屋が儲かるって言いにくいよ

お世話になります、ウツシロです。

 

コロナが絶賛大暴れ中だ。

また緊急事態宣言なんて勘弁してもらいたい。

 

ところで、風が吹けば桶屋が儲かるということわざを聞いた事はあるだろうか。

 

ちなみに風が吹けば桶屋が儲かるとは、強い風が吹くと砂埃が立つ、砂埃が目に入り盲人が増える、盲人達が三味線で生計を立てようと考えるため三味線を欲し、三味線に使われる猫の皮の需要が高まる、すると猫が減り鼠が増える。

結果増えた鼠が桶をかじり桶屋が儲かって喜ぶというシステムだ。

簡単に言うとある事象が発生すると巡り巡って意外な所に影響が出るということわざだ。

 

私も最近思いがけない所から人の人生に影響を及ぼすきっかけを作ってしまいこの言葉が思い浮かんでしまった。

 

いつもの様にこなしていた仕事で予想だにしない事故が起きた。誰かが怪我をするような事故ではなくビジネス上の事故だが、この事故は私の勘違いが大きく関係している。その尻拭いとして多くの人に手伝ってもらいなんとか事なきを得たのだ。

その件は私の中では過去の出来事として終わっていたのだが、私の知らない所で事実とは違う噂が立ち、私では無い○○さんがこの事故の原因を作った当事者にされていた。その噂をきっかけに○○さんは退職する事を決めたのである。

実際は数年前から会社に退職を相談していたがなかなか辞めるタイミングが無かったらしい。しかし、この一件で辞める事を決断したようだ。

私はこの出来事を○○さんから直接聞かされ、その事故は私が原因みたいなもので○○さんは関係ないと伝え謝罪した。○○さんも私が事故の原因を作った事を知っていてそこに対しては何とも思っていないと言ってくれたが、くだらない噂が立った事に我慢が出来なかったと語気を強めた。

 

私の勘違いから思いもよらない同僚を退職に導いたという話だ。

 

自分の軽率な言動や行動が他人の人生に関わる出来事に発展する事を身を持って体験してしまった。結局私はどうすれば良かったのか答えは出ていない。辞めようとする人を引き留める権利は無いのだ。

 

○○さんは次の職場が見つかり転職という形になった。

 

風が吹けば桶屋が儲かるとは文字通り受け取ればハッピーな結末(猫はいい迷惑)のように思えるが今回の私と○○さんの出来事はバッドエンド感が漂っている。

 

しかし、〇〇さんとの関係は良好であり毎日くだらない話を聞いてもらい笑い合う仲だ。

 

この転職をきっかけに巡り巡って桶屋(○○さん)が儲かってくれれば良いと切に願う。

 

 

風が吹いている

風が吹いている

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自分の影響力を侮ってはいけないと深く感じた出来事であった。

 

 

 

今日はこの辺で。

 

自宅の芝生は青いのか?

お世話になります、ウツシロです。

 

いや〜、寒さ絶好調ですなぁ、ここ数年はダウンジャケットは着ないスタイルでやってきたが今年は寒すぎてダウンを買ってしまった。やっぱりダウンの暖かさは間違いないね。

 

という事で今回は個性について書きたいと思う。

文章を書くようになり自分以外のブロガーさんの記事を読ませてもらうようになった。毎回読ませてもらう方が何人もいるが皆さんそれぞれスタイルが違い個性豊かで文章も上手い。自分のつたない日本語に恥ずかしさを覚える毎日だが結果オーライだ。

 

昔から自分には特別個性がないと気にしていた。コンプレックスの一つと言ってもよい。本来ならその人特有の性質や特性という意味なのだが、今考えると私が思っていた個性とは「どこか変わっている人」という意味で使っていたようだ。

そして何かを表現する人は個性的であり、変わっていない一般の人達にはできない事だと思い込んでいたのだ。

そうなると私の様な外見も内面も大した個性の無い人間には表現をする価値があるのかと自問自答を繰り返しながら生きていた。(言い過ぎかな)

 

しかし、ブログをやってみて気が付いた。

個性の無い人間なんて一人もいないという事を!キリッ。

 

当たり前過ぎて書いていて恥ずかしいのだが本当に最近になって気が付いたのだ。

そもそも個性を意識する環境に長い事いなかったというのが正しいのか。

 

世界に一つだけの花」をしっかり聴いていれば…

 

気付いてからというもの何を書こうが私という個性の"なせるわざ"であるという考えに変わってきた。

いい意味で開き直った感じがする。

ブログを書いている人は沢山いるが同じブログはない。私のブログもそんな中の一つだと実感できた。

なんせブログをあまり読んだ事がないので真似ようがないのである。

要するに誰もが個性を持っていて唯一無二の表現ができるという事だ。

同じ題材を扱ったとしてもまったく同じ物にはならず上手かろうが下手だろうが作者の味が出る。

なんでもやってみれば自然と個性的なスタイルになってしまうのだ。同じ人間はいないのだから当然だろう。

後は受け手に喜んでもらえるかどうかである。(ここが重要だったりする)

 

隣の芝生は何色か気になるが、自宅の芝生の色も見られている。そして自宅の芝生の色を青いと言ってくれる人も必ずいる。

自分には個性が無いと思っている人がいるなら安心して生きていれば良い。

生きてるだけで個性がはみ出てるよ。

 

My Style

My Style

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芝生の色を気にする前にとりあえず庭付き一戸建てに引っ越さなければ…

 

 

今日はこの辺で。

 

 

 

 

信じると疑うはワンセットで

お世話になります、ウツシロです。

 

今回はとりとめもない話になる。

世の中には色々な人がいる。その色々な人の中から何の因果か出会いと別れがある。

私の少ない人間関係の中でも相容れない人というのがいる。

割合としては少ないが会話をしていて何故か合わないなと思う人は、大概自分の考えを信じて疑わない人だ。

信じる対象は人それぞれだが自分の考えを疑わない、社会のルールを疑わない、会社の規則を疑わないなど、とにかく正しいと思う事を信じ切っている人がかみ合わない。

おまけに正義を振りかざしてくる輩はもう辛抱たまらん…

 

疑い深い人と相性が良い訳では無く、考え方に柔軟性が無い人と相性が悪いという事だ。

 

少年ジャンプの主人公のように自分の信じた道を突っ走る姿は見ている分には気持ちが良いし憧れるかも知れないが現実に身近にいると多分面倒くさい奴だ。(これは勝手な想像)

 

疑いの気持ちというのはネガティブなイメージだが、人を疑うのでは無く自分の考えにも間違いはあるかもという意識が少しでもあれば他人の意見を聞いた上で判断する事が出来たり、違う意見を受け入れる余白を持つ事ができる。

逆に何かを信じ切っている人は余白が少なく、違う意見に対して自分の考えへの否定と捉える節がある。例え意見を聞いてくれたとしても何か腑に落ちない雰囲気が出てしまうのだ。

 

世の中的には「信じる者は救われる」だの「信じる力」だのやたら信じる事は素晴らしいと持てはやされているが信じさせたい側からすると都合の良い謳い文句に聞こえる。

両手を広げて「さぁ信じなさい」的な。

 

すべての物事には陰と陽、善と悪などニ面性がありたまにグレーゾーンもある。

なんだかややこしい話になってきたので要約すると「信じる」という思考にもニ面性があると思っている。

信じる事で熱量は増し大きな結果を出す可能性を秘めているが、信じ過ぎると視野やキャパが狭くなり柔軟性を失いかねないという事だ。

 

結局何が言いたいのかというと何かを信じても盲信せずに少しは疑ってみるくらいがちょうどいいんじゃないって事だ。

 

信じる力も行き過ぎると危うさを感じる、何事もほどほどに。

 

 

I Believe

I Believe

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何かを信じなければ生きて行くのは結構しんどいが

疑う心も必要だと私は信じている…

 

 

今日はこの辺で。

 

 

時間を操る能力が欲しいのだ

お世話になります、ウツシロです。

 

1月ももう半ば、またあっという間に今年も終わっていく気がする…

 

最近困っているのが自分の時間を作れない事だ。

特にブログを始めてからネタを考えたり文章を書き出すと数時間単位で時間がかかる。

なんやかんや仕事とブログで1日が終わってしまう。

そもそも何に対してもどんぶり勘定でスケジュールを細かく管理した事もない、それに加えて文章を書くのが致命的に遅い。ブログの為にも様々な経験をしたいと思うが時間を作る事ができない。

私の経験上何かに夢中になっていると時間が過ぎるのが早い事はよくある。仕事をしていても忙しい時ほど時間が早い、逆に暇な時ほど時間はゆっくりに感じる。

ここ数年本当に時間が経つのが早い、特に休日が早すぎる。

このスピード感には正直恐怖すら抱いている。

 

時間には「物理的時間」と「心的時間」があるようだ。

物理的時間とは数値化された時計に表示される時間の事で心的時間とは心が感じている精神的な時間の事だ。

物理的時間は私の力ではどうする事もできないが心的時間は改善できるのではないかと閃いた。

なぜ時間が早く感じるのか分かれば対処法が浮かぶかもしれないという事で調べましたよ。

 

主に時間が長く感じる要因

1.身体的代謝が高い状態(発熱時や運動中など)

2.興奮状態にある時(苦手な動物といる時など)

3.常に時間を気にしている状態

4.広い空間にいる時(田舎や大自然にいる時など)

 

これが時間が長く感じる要因らしい。

子供の頃の方が時間が長く感じたのは大人より代謝が良いのが原因の一つのようだ。

そういえば興奮するような出来事も今より多かった。

という事は代謝を上げ興奮状態に突入し、ちょいちょい時計を気にしながら広い空間にいれば時間はほぼ止まっているという事だ。

良い事を知った、これで時間の速さに恐れおののく事はない。

 

ん?これどうゆう状態?とりあえず自然豊かな田舎に移り住む必要があるんじゃない?

そんな簡単に移住はできない4は一旦置いといて、1~3でどうにかしよう。

 

改めて1~3をミックスすると1日に適度な運動と緊張感、高揚感を取り入れ、時間を意識してしっかり区切る事で心的時間をコントロールしようじゃないか。

これで昼頃から1日の終わりを感じてガッカリしないで済みそうだ。

「はぁ~もう今日終わるじゃん」みたいな。

 

Time (feat. Yo-Sea & KEIJU)

Time (feat. Yo-Sea & KEIJU)

  • DJ CHARI & DJ TATSUKI
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
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時間を長く感じる方法を手に入れこれからは自分の時間を作りゆったり日々を過ごそうと思うが具体的に何をするか考える時間が無いのであった…

 

人生で使える時間は有限だしどんどん早くなっていく、日々時間を大切に使いたいもんだ。

 

 

今日はこの辺で。

 

 

 

ある日の電車にて

お世話になります、ウツシロです。

 

今日もいつものように電車に乗る。

数人立っているが、ほとんどの乗客が座っている。

私も椅子に座りおもむろにスマートフォンをポケットから取り出しながら何気なく周りを見渡した。

 

そこである事に気付く。

 

目が届く範囲の全員がスマートフォンを手にとり見つめているのだ。

たぶん今までにも同じような状況はあったはずだが気にしていない、しかし今日の私には何故か引っかかった。

曇りなきまなこで全体をゆっくり眺めながら思う。

 

これって異様な光景だよな…

 

皆が均一にスマホをいじくる姿に機械的な不気味さを感じた。老若男女関係なく、そこに居るすべての人が覗き込んでいる。

小さな板状の物質に取り憑かれどす黒い鉛玉のような眼で凝視しているのだ。

まるで「世にも奇妙な物語」に出てきそうな光景である。

とは言えスマホを捨てよペンを持てと言うつもりは無い、私もこの便利な小さい板を愛用しているし手放すことは不可能に近い。

私が不気味さを感じたのは自然発生的に皆が同じ行動をとっていた事かも知れない。

然るべき場所で皆が同じ行動をとる事は理解できる、しかし何の号令も無い環境で見ず知らずの人達が同一の行動をとる事に違和感を感じたのだ。いくらベストセラーの本が流行したとしても乗客全員が読むような本は無いだろう。

このスマホという物体、見た目は一緒だが見ている中身は皆違う、乗客同士で何かを共有したり共感している訳ではない。

白黒テレビを街頭に集まり皆で観ている方がよっぽど可愛げがあるではないか。

スマホが更に進化を遂げた時この電車内は一体どんな状況になるのだろう。

 

そんな情景を傍観しながら「こ、これがスマホ時代なのか…この先どんな未来が待っているんだぁ~」と心の中で叫んだ。そして視線を手元に戻すと私もスマホで下書きを書くのであった。

 

 

赤い電車

赤い電車

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それにしても電車のドアを背に体を車内中央に向けて仁王立ちする人よ、なぜ外を見ないんだ、頼むから夜景を眺めてくれ…

 

 

 

今日はこの辺で。

 

 

15歳の衝撃は忘れない

お世話になります、ウツシロです。

 

私は15歳でHipHopと出会い30年近く聴き続けている。HipHop以外にもR&B、House Music、レゲエ、ドラムンベース(Drum'n'bass)、BreakBeats、Soul Music、Jazzなどブラックミュージックを中心に聴いてきた。

ここ10年くらいは日本のHipHopのクオリティが格段に上がりよく聴いているが、聴き出した頃の日本のHipHop(以下JRAP)はリリック(詩)が分かりにくく、共感できる物が多くは無かった。JRAP黎明期とも言え、日本独自のスタイルを確立する準備期間だったのかも知れない。

スチャダラパー小沢健二の「今夜はブギーバック」やEAST END×YURIの「DA.YO.NE」などJRAPを知らない層に届いた曲以外は都内のレコード屋か各地方の数少ないレコード屋くらいしか入手できる場所が無かった。

その当時のJRAPもある程度聴いていたが、US(アメリカ)のHipHopばかり好んで聴いていたものだ。私も幼くて当時のJRAPのリリックに対する理解度が低かったのも原因だと思う。

 

そこで今回は10代の私が衝撃を受けたUSHipHopの名曲を3曲紹介したい。

 

まず1曲目は私が初めて買ったアナログレコードWarren G(ウォーレン・ジー)の

This D.J.」だ。この曲は1994年リリースのアメリカ西海岸のHipHipだ。

アメリカのHipHopには大きく分けて東海岸(ニューヨーク)と西海岸(ロサンゼルス)があり、サウス(主にアトランタ)も少し遅れて台頭してきた。

 

西海岸(LA)のHipHopの特徴はサンプリング物もあるが、シンセやトークボックスを使用した楽曲が多い所だ。トークボックスとは楽器から出た音を専用のエフェクターとチューブに通し、人が喋っているような発音を加える手法だ。

そしてお土地柄なのか車の中やパーティーで好まれる曲が多いのも特徴だ。

私は割と東海岸(NY)の曲を好んで聴くがこの”This D.J.”だけは思い出の1曲として心のベストテンに入っている。

 

 

This D.J.

This D.J.

  • ウォーレン G
  • オールド・スクール・ラップ
  • ¥204
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私の記憶が確かなら1995年頃の深夜に「Count Down Groove」という番組が放送されていた。MTVなど知らない当時の私にはTVで入手できる唯一の洋楽情報番組だった。

何のチャート(オリコンやらビルボード)だったのか分からないがHipHopも上位に挙がっていて数曲の新譜を知る事が出来た。その中の1曲でありUSHipHopのMV初体験がこの曲だった。

日本のMVの様な派手さは無く、異国情緒溢れる日常生活を淡々と映す感じが私には衝撃で「こんな地味なミュージックビデオありなんだ」と思ったものだ。

当時は地味に見えたがアメリカのストリートのカッコ良さも知るきっかけになった。

周りがJ-POPを聴いている中、自分だけが違う文化に触れているという優越感の様な感覚も味わっていた。

音楽メディアの主流はCDだったが、私はターンテーブルを手に入れ、隣町のレコード屋までアナログレコードを買いに行った事を今でも憶えている。

 

2曲目がNas(ナズ)の「One Love」だ。

One Love (feat. Q-Tip)

One Love (feat. Q-Tip)

  • Nas
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

1994年リリース、東海岸(NY)の曲だ。東海岸の曲の特徴はJazzをサンプリングし、シンプルなワンループのトラックでお洒落な曲が多い所だ。この曲、投獄された仲間への手紙をリリシストとして有名なNasがラップしているのだが、英語の解らない私はトラックにやられた。

この哀愁漂う激渋トラックが10代の男の子に響いたのだから今考えるとマセた小僧である。A Tribe called questQ-Tipによって制作されThe Heath Brothersの”Smilin’Billy Suite(partⅡ)”をサンプリングしたトラックになっている。

 

3曲目はJay-Z(ジェイジー)の「Dead Presidents」だ。

Dead Presidents II

Dead Presidents II

  • ジェイ・Z
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
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今ではUSHipHop界のキングに君臨するJay-Zだが、この曲はファーストアルバムに収録されている96年の名曲。”Dead Presidents"とは米国紙幣に印刷されている歴代大統領の事でお金を意味するスラングだ。

Lonnie Liston Smithの”A Garden Of Peace”をサンプリングしたこのトラックも90年代のHipHopにおいて哀愁トップテンがあれば上位にランクインする事間違いなし。

金を稼ごうぜの曲でこんな切ないトラックを使う必要があるのか疑問だが何とも言えない悲壮感のような物も漂っている。

Jay-Zはその後、かの有名なビヨンセさんと結婚し世界トップクラスの成りあがりを成功させるが、当時の私はそんなこと夢にも思わなった。

しかし私も10代から哀愁曲ばかり好んで聴いているあたり何かあったのかと心配になってくる。楽しく生きていたはずなのだが…

 

 

ちなみにこちらが元ネタ

A Garden of Peace

A Garden of Peace

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今回紹介した3曲は90年代のHipHopの殿堂入り曲なので是非覚えておいてもらえるとテストに出た時に安心だ。

青春時代の曲というものは一番心に残ると研究結果でも証明されている。最新の曲もできる限り聴いているが、やっぱり15歳の衝撃にはかなわないかな。

 

他にも思い出の曲は沢山あるがきりがないのでまた次の機会に。

 

 

 

今日はこの辺で。

 

 

結果オーライという考え方

お世話になります、ウツシロです。

 

「結果オーライ」という言葉がある。

令和の世の中ではあまり使われない言葉かも知れないがこの言葉をもう1度メジャーシーンに引き上げたいと思っている。

 

オーライとは車をバックさせる時にだけ使用する言葉では無い、「all right」オールライトの略で、意味は大丈夫や申し分ないといった所だ。

そういえば少年野球をしていた私はフライを捕る時も使っていた。

 

結果オーライという言葉は結果が良かろうが悪かろうが使える言葉である。

意外と悪い結果の時に多用している気もする。

願望が叶わず理想の自分になれなかったとしても、そんな自分を肯定してくれる言葉であり考え方だ。

 

私は昔からこのフレーズが好きでよく使っている。

どんな時でもできる限り「結果オーライでしょ」と言いたい。

 

人生には不本意な事がよく起きる、やりたくない仕事をしたり、満員電車で足を踏まれたり、欲しい物が売り切れていたり、好きな人に振られたり、煽り運転を喰らったり、カレーが辛かったり、なぜそんな事が起こるのか考えてはみるがこの先も回避する事は難しい。どんな人にも忘れられない出来事の1つや2つあるだろう。思い出して嫌な気持ちになった時は、このフレーズ「結果オーライ」だ、こう考えると気分が少しだけ晴れるのだ。

 

例え辛く苦しい事があったとしてもそんな出来事を経て今自分は生きている。

生きていれば引っ越しも転職も再出発もできるし自分に必要な出来事だったのかも?と前向きに捉える事もできる。

もちろんすぐには思う事ができず、数年経って結果オーライと言える出来事もある。

それはそれで良い、過去の出来事は結果オーライだと思うよう意識すれば良いのだ。

 

しかし、何故このフレーズをお守りのように心にぶら下げているのだろう。

 

私にも忘れられない経験がいくつかあり、時折思い出す。しかし過去はどこまで考えても変えられない。

ベストな選択ができず後悔が残っていたとしてもこのフレーズを唱えると前に進む気力が湧いてくる。

これは有効成分の無い薬でも安心感から効いてしまうという「プラセボ効果」みたいなもんだ。

やはり結果オーライと常に思える事はどう考えてもお得なのである。

 

今まで気軽に使っていたがここまで深く考えた事は無かった。私はこの言葉に毎度助けられている事に気付けた。ありがとう、「結果オーライ」。

 

 

Be Alright

Be Alright

  • 藤井 風
  • J-Pop
  • ¥255
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あくまでも私の自論なのでこの考え方に納得できなくても結果オーライである。

 

 

 

 

今日はこの辺で。