自分定規

「答えは己の中にあり」

自撮りが苦手な人集合~!

お世話になります、ウツシロです。

 

言い訳がましいがブログを書く時間が作れなくなっている。

プラス少し書いても納得いかずお蔵入りにしてしまう、自分のブログなのだから何を書いても良いはずなのだが…

それ程頭の中がまとまっていない。(忙し過ぎるのも良くないね)

 

しかし、ブログを読み返すと日記のような感覚になる。その時のことを何となく思い出すことができ記録を残すことも悪くないと感じる。

私は昔から自分の写真を撮ることが苦手だ。なぜか恥ずかしい。

記念撮影なども苦手で「別にいらないし」というスタンスをとっていた。

学生時代までは自分の意志とは関係なくちょこちょこ撮ることもあり写真は残っているが一人暮らしを始めてからというもの自分の写真はほとんどなくなった。

人のカメラに写っていることはあるので自分より他人の方が私の写真を持っている可能性が高い。今更思うのだが写真を撮っていなかったことに少し後悔している。

多少の思い出は残っていても客観的に当時を振り返ることはできない。

過去の髪型も服装も趣味も記憶からどんどん消えていってしまうのだ。

 

私の会社には社内報があり偶然見た社内報に数か月しか在籍していなかった名前も忘れかけていた人が写っていた、その時に思ったのがこの社内報の写真がなければこの人のことは私の記憶から消えていただろうということだ。

写真に写った本人もこの社内報を持っていればいつか見返した時に会社にいたことを思い出すことができる。

写真とは存在証明として重要なものであると今更気付いてしまったのだ。

 

逆に私にとっての20代30代というのは存在を証明するものはほとんどないんだなぁとしみじみ思ってしまった。アリバイが無いじゃないか!

今ならスマホで綺麗な写真を手軽に撮れる。ブログでも日記でもインスタでもどんな形であれ記録を残すことで振り返り自分の存在を客観的に見ることができる。

自分の写真などそんなに見るものではないがウン十年後に撮っておいて良かったなぁと思うかもしれない。

私のように写真が苦手な人も何かの節目で撮っておくことをおすすめする。

自分がそこに居たことを改めて実感できる貴重なものだからだ。

 

 

 

 

アイデンティティ

アイデンティティ

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過去の自分を見た時に「俺こんなんだったっけ?」と思うことがある、まるで他人を見ているようでおもしろい。

 

写真がどうしても苦手だという人には時間はかかるが自画像を描くことをおすすめする。画力も上がって一石二鳥だろう。

 

 

今日はこの辺で。