自分定規

「答えは己の中にあり」

他に手はなかったのか

お世話になります、ウツシロです。

 

私は音楽やお笑い、映画などエンタメ全般が好きな方だと思っている。

しかし、この好きなはずのエンタメも状況によって体が拒絶することがある。

 

それは自分のキャパを超える問題が発生した時だ。

 

コロナ禍で気分が沈みがちだった所に連日戦争のニュースは正直キツい。どちらの国にもそれなりの理由があり起こったことだとしても詳しいことは解らないし正義だ悪だで語る気はない。

これからどうなっていくのか見守るしかないが罪もない人々の怯える姿を見るのは辛いものだ。

 

音楽や絵画、笑いといった感情を揺さぶる芸術や芸事も圧倒的な悲しみや怒りの前では無に帰する。

やはり最低限の心の安定があってこそ人は表現を楽しむことができるのだろう。

思い返すと私も仕事で大きな問題が発生した時など通勤中に音楽を聴く気にもならず何かを考えているか、ボーッと窓から風景を眺めていたもんだ。

 

 

日本で暮らしていると安心安全が当たり前に感じる。治安の良さや整ったインフラなど世界では当然ではない。楽しいだのつまらないだのあーだこーだ言っているが平和や安全あってのことだと改めて思う。

子供の頃に食事を残すと「海外には食べたくても食べられない子がいるんだから残さず食べなさい」と親から言われたもんだ。

私は心の中で「いや、ここは海外じゃないから」と気にもとめなかった。

正直、貧しい国の子供と比較するなと思っていたが実際に苦しんでいる子供の映像を見るとあの時の親の言葉が身に染みる。

 

結局何の話か分からなくなってきたが海外の情勢を見て感じるのは人間には暴力的な一面がありいつの時代にもその暴力が突如顔を出す可能性があること、平和の上に人の営みや表現、それを楽しむ感情があること、そしてやっぱり私は平和を望んでいるということだ。

 

安全な日本の片隅に住む私でさえこんな気持ちになるのだ。現地の人達の恐怖や不安、怒りは計り知れない。一刻も早く停戦交渉が合意され人々が安心と安全を確保して欲しいと心から切望している。

 

 

 



今日はこの辺で。