ない物をねだって生きてゆくのか
お世話になります、ウツシロです。
私は常に不満や悩みを一つや二つは持って生きている。
この不満や悩みは解決してもまた新しい悩みが「マスター開いてる?」と言わんばかりに顔を出してくる。
この繰り返しで40年生きてきた。
人生振り返ってみても悩みや不満のない時期というのが何年あっただろうか…
正直言ってこのループに飽き飽きしているし、そのうち新たな問題にぶち当たることも目に見えているのが悲しい。
不満や悩みとはない物ねだりなものが多いように思う。
例えば、忙し過ぎて暇が欲しいとか、暇すぎるから仕事したいとか家族と合わないから一人になりたいとか逆に一人は寂しいから誰かといたいなど、挙げればキリがないが常に何かしらのない物ねだりのようだ。たぶんこれが人間という生き物なのだろう。
子供の頃の悩みなど忘れてしまうがほとんどがない物ねだりだった気がする。
(あの子はあのおもちゃを持ってるとかあいつには彼女がいるとか)
この苦しみから解放されるには環境、状況を変えるかその状態のまま悟りを開くくらいしかない。簡単に悟りを開くと書いたがこれはかなりハードルが高いので諦めるの方が合っているかも知れない。
やはり努力して自分の望む環境にすることが一番現実的だ。
だが、例え自分の望む環境になったとしても必ず新たな問題や悩みが現れる。
何故なら私はそれを繰り返して生きてきたからだ。
ない物を手に入れても決して完璧になるわけではない。
これが分かっているから年を取るほどそう簡単には状況を変えられないし、変えないという選択肢に落ち着くこともある。
どちらが正しいなんて答えはないがどの道を行こうが問題にぶち当たるのであればどちらでも良いと思ってしまう。
欲しかったおもちゃを手に入れてもそのうち新しいおもちゃが欲しくなるかの如く自分の思い描いた環境を手に入れたとしても新たな苦悩に出会うことだろう。
大人になり対象物は変わっても根本は子供の頃と大して変わらない。
これだけない物ねだりを繰り返してくるとどんな選択をしても苦悩は付きまとうと分かる。
ならばそれを前提にその苦悩をどう捉えどう対処するか考え、心の準備をしておく方が良いだろう。分かっていればしんどさも幾分楽になる。
直感で動こうが、考え抜いて動こうが、動かなかろうが何らかの苦悩は付きまとうと覚悟して生きようと久しぶりに「ザ・ノンフィクション」を観ながら思う日曜の午後であった。
※「ザ・ノンフィクション」の内容は記事とは関係ありません。
今回の「ザ・ノンフィクション」、知ってる人が出演していたというサプライズ付きで複雑な気持ちで楽しませてもらえた。
あ~ビックリした、今日はこの辺で。