原始人に思いを馳せる
お世話になります、ウツシロです。
最近ふと思うのが原始人についてだ。
腰巻を巻いて棒を持った教科書に出てくるあいつだ。
どの時代の原始人かは気にしていないが、判断に悩んだ時など「自分が原始人ならどうするだろう」と考える。余計な打算は置いといて原始人ならどのように行動するのか想像してしまう。
私の判断基準の項目に原始人がスタンバっている。
現代の我々は秩序やルールでがんじがらめになり本質とは違う所で悩んでいる事がある。
ほとんどの事は嫌か嫌じゃないかで答えは出ているがそう単純には考えられない。
原始の時代にも最低限のルールはあっただろうが今ほど複雑では無いし本能に根付いた行動を取っていただろう。建前や世間体、ファッションも気にせず縦横無尽に腰巻き一つで野山を駆け回っていたのだ。
本来人間は必要なだけの狩りをして家族を養い、目の届く範囲の近所付き合いをしながら生活を営んでいたはずだ。
腹が減れば獲物を追うし、身の危険を感じれば逃げる、本能に忠実な生き方だと思う。
それが今では電車や車に乗り歩いて行けない距離を移動し、街や駅では数え切れない人を目にする、睡眠時間を削りながら働き、職場や学校では競争や価値観の違いにさいなまれている。これは現代人特有の生活であり動物の一種である人間としての生き方なのか疑問だ。
夢だ希望だなんてここ百年くらいの話で、生き甲斐や自分探しも近代になってからの考え方だろう。
この手の悩みを感じ出したのはごく最近の事では無いか?
何万年も野生の動物とさほど変わらない暮らしをしていた人間がこの百数十年でだいぶ様変わりしたもんだ。
私も今までは他人に認めて欲しい、好かれたいという欲求を強く持っていた。
その為に恥ずかしくない生活や見栄えを気にして生きて来た、それが若さなのかも知れないが。
インスタ映えに必死になっている若者に偉そうな事は何も言えない。
見栄や体裁を気して生きられる平和な世の中に生まれて幸せな事だと過去の日本人に感謝しているが、その分人間関係での悩みは尽きない。人の悩みの9割は人間関係だと聞いた事がある。
私はシンプルに考えたいし、無理をしたくない。
3大欲求にも逆らいたくないし他人を気にして我慢する事も避けたい。
理想は”原始人感覚”なのだ。
一つの考え方に縛られず、人間本来の感性(直感)に従い判断したいと強く思う。
この先の生き方も職種や収入では無くどんな生活を営みたいかに重点を置こうと思っている。何かを自慢したり競い合う相手はもう居ないのだ。
コロナ以降の私の考えはだいぶ変わって来た、組織やコミュニティに対する重要度が下がり私という個が最も重要になった。するとコミュニティのルールや関係性を煩わしく感じ始め原始人に思いを馳せてしまったのだ。(なんのこっちゃ)
これからは本当の意味で自分との勝負になる、自分の在りたい形を実現できるかどうかだ。
山奥で仙人の様な生活をしようとは思わない、今の生活を持続しながら自分が思う人間らしい暮らしを目指すのだ。
過去の偉人の言葉も良いが原始人までさかのぼればもっとシンプルに考えられるはず。
今日はこの辺で。