結果オーライという考え方
お世話になります、ウツシロです。
「結果オーライ」という言葉がある。
令和の世の中ではあまり使われない言葉かも知れないがこの言葉をもう1度メジャーシーンに引き上げたいと思っている。
オーライとは車をバックさせる時にだけ使用する言葉では無い、「all right」オールライトの略で、意味は大丈夫や申し分ないといった所だ。
そういえば少年野球をしていた私はフライを捕る時も使っていた。
結果オーライという言葉は結果が良かろうが悪かろうが使える言葉である。
意外と悪い結果の時に多用している気もする。
願望が叶わず理想の自分になれなかったとしても、そんな自分を肯定してくれる言葉であり考え方だ。
私は昔からこのフレーズが好きでよく使っている。
どんな時でもできる限り「結果オーライでしょ」と言いたい。
人生には不本意な事がよく起きる、やりたくない仕事をしたり、満員電車で足を踏まれたり、欲しい物が売り切れていたり、好きな人に振られたり、煽り運転を喰らったり、カレーが辛かったり、なぜそんな事が起こるのか考えてはみるがこの先も回避する事は難しい。どんな人にも忘れられない出来事の1つや2つあるだろう。思い出して嫌な気持ちになった時は、このフレーズ「結果オーライ」だ、こう考えると気分が少しだけ晴れるのだ。
例え辛く苦しい事があったとしてもそんな出来事を経て今自分は生きている。
生きていれば引っ越しも転職も再出発もできるし自分に必要な出来事だったのかも?と前向きに捉える事もできる。
もちろんすぐには思う事ができず、数年経って結果オーライと言える出来事もある。
それはそれで良い、過去の出来事は結果オーライだと思うよう意識すれば良いのだ。
しかし、何故このフレーズをお守りのように心にぶら下げているのだろう。
私にも忘れられない経験がいくつかあり、時折思い出す。しかし過去はどこまで考えても変えられない。
ベストな選択ができず後悔が残っていたとしてもこのフレーズを唱えると前に進む気力が湧いてくる。
これは有効成分の無い薬でも安心感から効いてしまうという「プラセボ効果」みたいなもんだ。
やはり結果オーライと常に思える事はどう考えてもお得なのである。
今まで気軽に使っていたがここまで深く考えた事は無かった。私はこの言葉に毎度助けられている事に気付けた。ありがとう、「結果オーライ」。
あくまでも私の自論なのでこの考え方に納得できなくても結果オーライである。
今日はこの辺で。